2009年6月アーカイブ
昭和47年。青林堂から出版された「フーテン」。永島慎二先生の作品である。今取り出してきて表紙のデザインを見ても感慨深いものがある。永島先生の本は何冊も持っていたけれど,お金のないときに売ってしまって,今はこの「フーテン」を含めて数冊しか残っていない。
昭和42年の広告写真です。「チャイナー魔法瓶」と「パパポット」。これをレトロなデザインと言っていいものか,迷いますね。日陶産業株式会社の製品です。
魔法瓶なるものが日本に入ってきたのは20世紀初め,1909年とされています。これより5年前の1904年,ドイツのテルモス社が魔法瓶の商品化に成功しています。テルモスはドイツ語読みだと思います。あのTHERMOSです。現在,私はサーモスの携帯マグを2本持っています。
今はステンレスの保温器,保冷器が普通ですが,昭和のころは二重になったガラス瓶でした。ですから,乱暴に扱うと割れることが多々ありました。それにしても,「魔法瓶」というネーミングは何とかならなかったものでしょうか。魔法の瓶ですからねぇ。
昭和の繊維壁にひらひらと留められた富山の薬屋の広告。昭和らしいデザインです。
繊維壁は昭和40年代には大流行でした。50年代にはホームセンターでも材料を売っていました。今でもあるかもしれませんね。繊維壁の素材は「パルプ」「ワラ」「紙」「糸」などに「樹脂」を混ぜたものです。月日を経ると,ぼろぼろと剥がれて落ちてきます。うちの壁は崩れます。左官屋さんのページを見つけました。面白いです。
昭和のデザインです。富山の置き薬,つくしメンターム。昭和30年代のものでしょうか。
赤チンとオロナインとメンターム。この三つがあれば,怪我は治った昭和です。思い出すのは,友達が五寸釘を踏み抜いたことです。あの頃,釘なんていくらでも落ちていました。まるで廃材置き場のようになった空き地で遊んでいるとき,友達が釘を踏んでしまいました。その釘は足の甲まで突き抜けていました。「はよう,家へ帰れ」という皆の声に押されるようにして家に帰った彼は,翌日,足を包帯でぐるぐる巻きにして学校に来ました。話を聞くに,家で釘を抜いてもらい,水で洗い,メンソレータムを傷口に塗り込んだそうです。彼は二日ほどすると包帯もせずに,皆と空き地で走り回っていました。ハードな昭和でした。




