2009年8月アーカイブ
昭和40年代でしょうか。レトロなデザインのアルミの弁当箱。懐かしいです。当時、このおかず入れが画期的でした。醤油入れまで付いています。

日軽アルミニウム工業の弁当箱です。当時、父親がこの弁当箱を使い始めたとき、羨ましくて仕方なかった。おかず入れに入るのは前の晩の残り物だったが、憧れのお弁当でしたね。あの頃、ご飯の真ん中に梅干しを一つ置いて、日の丸弁当にするのが普通のことだったので、梅干しの酸の影響でふたに穴が開いたという話を聞きましたが、実際に見たことはありません。
ひとつ。今でもわからないことがあります。ご飯の部分とおかずの部分を隔てる敷居がありますが、この端がカーブを描いていて直線ではないこと。この部分はどう使うのが正解なのでしょう・・。


日軽アルミニウム工業の弁当箱です。当時、父親がこの弁当箱を使い始めたとき、羨ましくて仕方なかった。おかず入れに入るのは前の晩の残り物だったが、憧れのお弁当でしたね。あの頃、ご飯の真ん中に梅干しを一つ置いて、日の丸弁当にするのが普通のことだったので、梅干しの酸の影響でふたに穴が開いたという話を聞きましたが、実際に見たことはありません。
ひとつ。今でもわからないことがあります。ご飯の部分とおかずの部分を隔てる敷居がありますが、この端がカーブを描いていて直線ではないこと。この部分はどう使うのが正解なのでしょう・・。

昭和らしいレトロなデザインの痛み止め。「頭痛トンプク」が商品名でしょうか。西海製薬株式会社。佐賀県の会社で、今もあります。
小学校5年生の頃でしょうか。一晩歯がうずいて、翌日歯医者に行きました。診察台の周りにはいろいろな器具があり、炎が立ち上がっているものもありました。これだけで、小学生を脅すには充分です。無口なお医者さんは「抜かないかんな」とボソリと呟きました。覚悟を決めた私は、これでもかと言わんばかりに、麻酔の効いた口を大きく開けて、抜歯を我慢しました。乳歯だったので、さほど時間もかからずに歯は抜けたのですが、治療はそこまで。消毒もなしです。
お医者さんは、またボソリと、
「外に水道があるから口をゆすいどいて」
診察室を出ると、待合室の奥に洗面台があり、そこで口をゆすぐと鮮やかな色の血がたくさん流れました。なかなか血が止まらない口をゆすぎながら、何故か私は奇妙な充実感に包まれて幸せでした。昭和の話です。