音楽の最近のブログ記事

「これが青春だ」昭和41年から放送された青春ドラマ。日曜日の午後8時から日本テレビで放送されていた。小学生だった私にはのめり込んでしまうドラマだった。白黒放送だった記憶がある。

主演は竜雷太さん。竜雷太さんは当時まだ無名の新人。この後、有名になり、太陽にほえろののゴリさんになり、SPECの野々村光太郎係長となる。ゴリさんはいい役者になりましたねぇ。

主題歌は布施明さん。いいです。



布施明さんがあのオリビア・ハッセーと結婚したときは驚きました。昭和55年のことです。オリビア・ハッセーは映画「ロミオとジュリエット」で当時の男の子の永遠のあこがれとまでなった女優さんです。

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「君は薔薇より美しい」は昭和54年の作品。この翌年二人は結婚するのです。近年の布施さんもいいですね。



(しばらく、You Tubeのお世話になります)

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昭和の時代に今のようなしゃれたデザインのコテージがあるキャンプ場などなかった。

中学生の頃、夏休みがくると仲のいい友達で川にキャンプに行った。女の子5人男の子5人くらいだったと思う。キャンプに行くにはテントが要る。あの頃は貸しテント屋さんがいくつかあって、夏休み前にテントを借りる予約を入れて、当日テントと飯盒を借り、バスに乗って川原でキャンプを張った。必要なものはみんなで持ち寄ったが、その中にフォークギターがあった。日の高いうちは川で泳ぎ、日が傾いてくるとカレーライスを作り、夜になればキャンプファイヤーを囲んでギターを弾き、歌を歌った。なぜか、人気があったのが、「戦争を知らない子どもたち」ジローズの曲。



中学校3年の時だったろうか。キャンプファイヤーの火も消し、みんなテントで眠る頃、わたしは一人の女の子と河原で並んで寝転び、満天の星を見上げていた。流れ星がいくつもいくつも空を横切っていく。

深夜になり、二人でトイレに行ったとき、(当時のキャンプ場のトイレというのは肥溜めの上に板を張り、四方を見えないように囲んだだけのものだった)わたしは、一本の木に無数の霊魂を見た。大きな木の幹に、まさに恨めしい表情の人の顔が十、二十と張り付いているのである。これは女の子も一緒に見たので私の錯覚ではないと思う。

怖いね、怖かったね、と言いながら私たちは河原に戻り、何もなかったかのように満天の星のささやきを聞き続けた。二人で手をつないで寝転び、寝転んだ背中が河原の石で痛くなれば起きて膝を組み、何も話さなかったのか、ずーっと語り合っていたのか、わたしには記憶がない。しかし満天の星はまぎれもなく私だった。そして山際が白み始め、一夜の青い夢が終わった。

今、思う。
あれは本当の出来事だったのだろうかと。
手をつないでいたのは誰だったのだろうと。

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夏なんです

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はっぴいえんどの結成は昭和45年。「風街ろまん」は昭和46年に発表されたアルバム。わたしも紙ジャケのCD持ってます。



あの頃、家にクーラーはありませんでした。夏休みに、図書館で借りてきた本をボンボンベッドに寝転がって読んでいると、開け放した窓から白い風が流れ込んできて、思わず目を閉じ、時を失ってしまった午後。今でも鮮やかに蘇る夏。

舗装道路が少なかった昭和。家の屋根もとても低くて、路線バスのサイドミラーが雨樋すれすれをかすめていた昭和。夕暮れになると、ステテコ一枚のおじさんが団扇をあおぎながら家の前で座り込んでいた昭和。醤油がなくなると、隣のおばさんに貸してもらった。豆腐売りのおじさんが来るとお鍋を持って買いに走った。天井の木目の模様まで覚えていた。たぶん今でも覚えている。

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「下町の太陽」の昭和38年の紅白で歌う倍賞千恵子さんです。
映画「下町の太陽」は昭和38年に松竹で制作された。
東京都墨田区の資生堂の石鹸工場とその周辺が舞台になっているそうです。



監督は山田洋次さん。山田洋次監督の作品にはいつも倍賞千恵子さんが出てくる印象がある。やはり、寅さんの印象が強いのでしょうね。倍賞さんの声の美しさと、映像の懐かしさに何度も再生してしまいます。

原発問題で色々と情報が錯綜していますが、原発がなくても電力は足りていると思いますね。足りていなかったら、節約するだけのことです。何の問題もない。この映像を見ているとそういう思いを強くします。


ジャクソン5が「ABC」で日本のテレビに出ていたのが昭和40年代。アメリカのミュージシャンがテレビに出ていることに驚き、兄弟であることに感心し、ましてやマイケルはまだ子どもだった。 あの頃はまだラジオの時代で、アメリカのヒットチャートを紹介する番組を日曜日の午後に流していた。毎週その番組だけは必ず聴いていた。歌詞の意味もわからないのに、どうしてあれほど夢中になれたのだろう。

 マイケルの楽曲の中で一番好きな歌。
 「you are not alone」 ずーっと聴いていられる。



「you are not alone」これはラブソングではない。
 「マイケルの遺した言葉/マイケル・ジャクソン氏の歌詞の日本語訳詞集」というサイトが詳しい。


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これでいいのだ

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昭和の自転車のワンショット。自転車のデザインも木の塀も昭和です。

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忌野清志郎も自転車乗りでした。結成したバンド、RCサクセションの「僕の好きな先生」が登場したのは昭和45年。まだわたしは中学生でしたが、どこへ行くにも自転車だった。20kmほど離れた友達の家へも自転車で行った。冬の日も夏の日も。

 RCサクセションの「サマータイムブルース」
<

 日本国内の電力の3割が原発でまかなわれているという。全世帯が3割の節約をすれば原発の需要はゼロになるということかしらね。それならできますね。そして、自転車を活用しましょう。4車線道路は2車線を自転車と小型バイク専用の道路にしましょう。二酸化炭素排出量は減ります。自動車の車線は大変に混雑します。それが嫌で、自転車に乗り換える人がさらに増えます。ヒートアイランドも緩和されます。すると夏のエアコンの需要も減ります。自転車に乗っている人は健康になりますから医療費も削減されます。遠くのショッピングセンターよりも近くの商店街で買い物をしたくなります。シャッター通りのシャッターが一軒そして一軒と開いていきます。商店街の買い物には会話が必要です。人の心がふれあいます。そうなれば、テレビで天才バカボンが復活するでしょう。「これでいいのだ」と。

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アマポーラ

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昭和の時代には、あんぱんとジャムパンとクリームパン、この三つが菓子パンの代表でした。あんぱんといえば木村屋です。明治7年に銀座で売り出されたというのですからその歴史はすごいものです。明治8年4月4日に明治天皇に献上されたことから、4月4日は「あんぱんの日」になっているそうです。

しかし昭和30年代にあんぱんを食べた記憶がありません。あの頃のパンといえば給食のコッペパンだったし、おやつはサツマイモを蒸かしたものが日常でした。近所の駄菓子屋さんにあんぱんはなかったのです。

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あんぱんの上にのっているツブツブはひなげしの種です。ひなげしはスペイン語でアマポーラ。1924年に作られた「アマポーラ」という歌があります。ロバートデニーロ主演の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の挿入歌としても使われました。あんぱん以上に甘い歌です。昭和56年でしたか・・・山下達郎の「ON THE STREET CORNER 2」の一曲目がこの「アマポーラ」です。当時、東京へ向かう新幹線の中で、友人に借りたウォークマンで聞き続けた曲です。恋していた昭和です。

AMAPOLA, my pretty little poppy,
You're like that lovely flow'r so sweet and heavenly.
Since I found you,My heart is wrapped around you.
And loving you, it seems to beat a rhapsody.
AMAPOLA,the pretty little poppy must copy its endearing charm from you.
AMAPOLA,AMAPOLA,How I long to hear you say "I love you."
(出典:Wikipedia)
作詞:ALBERT GAMSE/作曲:JOSEPH M. LACALLE/


郷ひろみも55歳を迎えた。ジャケットデザインに無限大の記号が使われている・・。郷ひろみは今が一番輝いているのではないかと思う。


あの頃、私は女子校の女の子と何度かデートをしたことがある。おとなしい彼女と公園のベンチで二人並んで座り、夕暮れまで過ごした。
「郷ひろみと野口五郎と西城秀樹の誰が一番好き?」
彼女は私に尋ねた。あの頃、この話題はみんなが共有していたことと思う。しかし、私が何と答えたのか、記憶にない。

その後20年ほど経って、奇遇にも、私は彼女の父親と同じ職場で働くことになった。彼女の父親の話では、私は何度も彼女の家に行ったそうだ。そして、彼女の母親とも随分仲良くなっていたらしい。だけれど、当時でさえ、私にはそれらの記憶がなかった。

想いを遡ってみて蘇るのは、公園のベンチと、私が着ていたヘンリーネックのTシャツ、そして夕陽に染められていく彼女の綺麗な横顔だけだ。なんだか、心が痛くなってくる。

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乙女のワルツ

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昭和のジャケットデザインが懐かしい伊藤咲子の「乙女のワルツ」。

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昭和50年頃、私は東京に住んでいた。あの頃一番大事だったものは、アルバイトをして買ったオーディオセット。YMAHAのウッディなレコードプレーヤー、トリオのアンプとチューナー、山水のスピーカー、TEACのカセットデッキ。四畳半一間、トイレ共同、風呂無しの下宿で、sugar babe、センチメンタルシティロマンス、はっぴいえんどなどを聴いていたが、歌謡曲のLPが一枚だけあった。それが「乙女のワルツ」このLPは本当に擦り切れんばかりに聴いた。

私は彼女に会ったことがある。東中野の駅前で堀越学園の制服を着た彼女が駅から出てきて、私は駅に向かっていて、すぐに彼女だと分かった私は、彼女を見つめながら歩いた。そして彼女との距離が数メートルになったところで立ち止まった。すると彼女も立ち止まって私を見ていた。長く感じられた時間だが、本当は5秒とは立ち止まってはいなかっただろう。

YouTubeで検索すると「乙女のワルツ」のカラオケの動画みたいなものがある。何気なく再生してみると倉敷の町のショットで作られている。倉敷アイビースクエアは、旅行嫌いの私が初めて旅行したときに泊まったホテルだ。そして、このホテルに泊まった一ヶ月後に私は生死の境に臨むことになった。もう一度行ってみたい衝動が抑えられない。


さっきからもう1時間以上聴き続けている「乙女のワルツ」
作詞は 故 阿久 悠さんである。

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「氷の世界」

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井上陽水の「氷の世界」。昭和48年12月発売。デザイン云々を語る前に、このジャケットは一生忘れられない。陽水が抱えているギターは忌野清志郎からもらったものである。

最近、井上陽水がステージの上で、「いぇーい」と言うことがあるのをご存じだろうか。もう随分前、陽水と清志郎が同じステージに立ったことがあるのだが、そのとき、大勢の観客の前で、清志郎はシャイな陽水に向かって「いぇーい、って言え」と突っ込んだことがある。しかし、陽水は何も言えなかった。言えないまま、清志郎は病を得、そして亡くなった。今日、陽水の発する「いぇーい」は清志郎に向かって言っているのだと私は勝手に信じている。

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あの頃、私は高校生だった。寒い道を、当時付き合っていた同級生の女の子と歩いて家まで帰って、このLPを一体何度聞いたことか。冬の日は短い。畳の部屋に二人で座り、灯りもつけずに、次第に暗くなってゆくままに石油ストーブの火をじっとみつめたまま、二人は陽水を聴いていた。何も語らなかった。見つめ合うこともなかったし、触れ合うこともなかった。二人はただ聴いていた。

私は彼女といつも一緒にいたと思っている。一緒に喫茶店に入り、一緒に夜汽車に乗り、一緒に遠い海を眺め、一緒に机を並べて勉強もした。でも私は彼女とキスさえもできなかった。そして、何故か、私には、彼女と話をした記憶がない。

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昭和の記事を書くのはやはり単なる懐古趣味ではなく、自分自身が本気で昭和の時代の自分に返りたいと願っているからだと思う。最近、あまりテレビを見なくなった。パソコンの前に座って聞いているのはこのCDである。原由子さんの「東京タムレ」。昭和を感じさせるジャケットデザインです。

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私は、このCDに収録されている「愛のさざ波」という曲が、初めて聞いたときからずっと好きだ。ちなみに初めて聞いたのは昭和43年。島倉千代子さんが歌っていた。
作詞はなかにし礼、作曲は浜口庫之介。

この世に神様が 本当にいるなら
あなたに抱かれて 私は死にたい
ああ湖に 小舟がただひとつ
やさしくやさしく くちづけしてね
くり返すくり返す さざ波のように

あなたが私を きらいになったら
静かに静かに いなくなってほしい
ああ湖に 小舟がただひとつ
別れを思うと 涙があふれる
くり返すくり返す さざ波のように

どんなに遠くに 離れていたって
あなたのふるさとは 私ひとりなの
ああ湖に 小舟がただひとつ
いつでもいつでも 思い出してね
くり返すくり返す さざ波のように
さざ波のように


原由子という人は不思議な人だと思う。その姿、その声から、嫌なものを一切感じない。サザンが成功したのは、この人がいたからだと信じている。

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昭和と言わず、太古から昇り続けている月。遠くで犬の遠吠えが聞こえる秋の夕方。ふと自分を振り返る。

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縁側でススキを飾り、三宝にお団子を盛り、まあるい月を家族で愛でる。私にはそうした記憶がない。思わず口ずさむ「月の砂漠」。作詞された加藤まさをさんは静岡生まれの画家です。本の挿絵などで活躍された方ですが、多才な方で、少女小説も書かれており、この「月の砂漠」も大正12年に『少女倶楽部』の三月号に発表されました。

月の砂漠をはるばると
旅の駱駝がゆきました
金と銀との鞍置いて
二つならんでゆきました

金の鞍には銀の甕
銀の鞍には金の甕
二つの甕は それぞれに
紐で結んでありました

さきの鞍には王子様
あとの鞍にはお姫様
乗った二人は おそろいの
白い上着を着てました

曠い砂漠をひとすじに
二人はどこへゆくのでしょう
朧にけぶる月の夜を
対の駱駝はとぼとぼと

砂丘を越えて行きました
黙って越えて行きました


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昭和のデザインです。歌鬼という,阿久悠さんの作品のトリビュートアルバムのジャケットです。同棲時代という漫画がありましたが,その主人公である今日子を思い出しました。

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同棲時代は上村一夫さんの代表作。昭和47年に漫画アクションに連載されました。あの頃はまだ同棲ということが社会的に認められているとは言い難い時代でした。今日子は私には手の届きそうにもない女性でした。それでも,同棲時代を読みながら,私は,今日子の赤い痛みの中に入ろうとしていました。しかし,理解しようと懸命になると,今日子は突然私を突き放します。今日子は上村一夫さんが生んだ女性であり,私は青い読者だっただけなのに。今日子に会ってみたくなりました。

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昭和42年7月から26年間に渡り城達也さんがナレーションを続けられた「ジェットストリーム」


昭和40年代,土佐には民放のFM局が存在しなかったが,なにかでこの「ジェットストリーム」を聴く機会があり,東京へ出ていった暁には真っ先にこの「ジェットストリーム」を聴きたいと思い続けていた。だから,東京の大学に入り,四畳半一間トイレ共同風呂なし,というアパートに引っ越して最初にしたことは,ステレオの配線だった。YAMAHAのレコードプレーヤー,TRIOのアンプとチューナー,TEACのカセットデッキ。そして最初の夜に聴いた「ジェットストリーム」。あの夜の城達也さんの声は忘れられない。

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先日NHKで,ザ・ヒット・パレード「ショウと私を愛した夫」というミュージカルを放送していて,思わず見入ってしまった次第。昭和30年〜40年代の物語。原田泰造と戸田恵子がナベプロの社長と奥さんという配役でした。ザ・ピーナッツ役が瀬戸カトリーヌと池田有希子。思わず途中から録画して2回見てしまった。
ザ・ピーナッツはいい歌をたくさん歌いました。それにしてもどうしてもハナ肇さんを思い出してしまいます。あのシャボン玉ホリデーのラストのコーナーでピーナッツの二人に肘鉄を食らうハナさんを・・。バックにはスターダストが流れ,昭和の日曜日の夜は過ぎていきました。

昭和49年の歌本です。昭和らしいデザインの文庫本。ぱらぱらとページをめくっていると「いとしのマックス」に目が止まりました。荒木一郎のヒット曲です。

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先日,車を運転しながらラジオを聴いていると,荒木一郎の「空に星があるように」を誰か違う人が歌っていて,それがとてもいいので,じっと耳を澄ませているとBEGINでした。ネットで調べました。BEGINはこの曲をフジテレビのテレビドラマの「天気予報の恋人」の主題歌として歌っていたそうです。知りませんでした。

昭和63年。荒木一郎の「空に星があるように」そして「いとしのマックス」です。


昭和レトロなデザインのレコードジャケット。藤圭子の「命預けます」です。昭和44年,藤圭子は非常に個性的なデビューを「新宿の女」で飾り,「圭子の夢は夜ひらく」で大ヒットしました。幼い頃,旅回りの生活をしていたという背景もあって,不幸の影を演出した部分もありました。

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藤圭子はデビュー後もいろいろと暗い話題があり,渡米。現在は宇多田ヒカルのお母さんとして有名かもしれない。

一曲どうぞ。「京都から博多まで」

日野てる子さんのシングル盤のジャケットです。昭和らしいデザインです。よく見ると定価「¥330」とスタンプみたいなもので表記されています。

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昭和40年にこの「夏の日の想い出」がヒットしました。小学生の私は不思議な印象を受けました。南国の人だという感じですが,沖縄の人なのか,奄美の人なのか分かりませんでした。もしかしたら外国の人かもしれないとも思いました。いつも髪に花を飾っていたからでしょうか。日野てる子さんは昭和20年生まれで,愛媛県出身の方です。
ロッテの小梅ちゃん。素敵なデザインのパッケージだと思います。小梅ちゃんの発売は昭和49年。林静一氏のイラストが採用されたのは昭和57年です。私は林静一氏のイラストが好きです。

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林静一氏は昭和20年生まれ。昭和40年代に,ガロで漫画を描いていた頃のタッチは今とは少し違います。。彼が連載していた「赤色エレジー」はあがた森魚の歌とカップリングして有名です。アニメーションはDVDで発売されているようです。なんと,ナレーションは石橋蓮司です。

あがた森魚のLPは繰り返し繰り返し聴きました・・。大正の香りのする甘酸っぱい歌でした。「赤色エレジー」・・・今,YOU TUBEで聴いて,涙が流れてきます。

昭和を思い出す「改源」のデザインです。このデザインは,湯飲み茶碗とそれを受ける茶托をイメージしたもので,改源は昔は「お茶でも飲める風邪薬」をキャッチとして販売しており,はっきりとした経緯は不明ですが、お茶でも飲めるという意味をこめて湯飲み茶碗にしたものと推測されます。これは,株式会社カイゲンにお尋ねして教えていただきました。

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現在の用法には
「茶湯または湯水で服用してください」とあります。

改源の発売は大正13年。昭和40年には長崎出身の作詞家,藤浦洸を起用してテレビ宣伝を開始。昨年はたしか,デーモン小暮を起用していたはずです。藤浦洸さんといえば NHKの「私の秘密」で回答者として活躍されていたのを覚えています。正直な人だなと感じました。作品としては「別れのブルース」「チャイナ・タンゴ」「水色のワルツ」「河童ブギ」「悲しき口笛」「私は街の子」「東京キッド」「りんご園の少女」などが有名です。

淡谷のり子さんの「別れのブルース」では,「BLUES」についての発音が「ブルース」であるのか「ブルーズ」であるのかが話題となることがあります。初期には「ブルーズ」と歌っていたようですね。

昭和レトロを感じさせる写真ではあります。衣装のデザインなども昭和らしいですね。この写真,「倍賞千恵子とファイブダンサーズ」の昭和38年の写真です。と言ってもファイブダンサーズについて私は詳しくは知りません。ただただ,倍賞千恵子さんの若き日の写真に驚いたのです。

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倍賞千恵子さんは昭和32年に松竹音楽舞踏学校に入学し,首席で卒業。松竹歌劇団(SKD)に入団。その後,松竹映画に出演することになる。「下町の太陽」(昭和38年)は彼女の代名詞と言ってもいいのではないでしょうか。しかし昭和30年代生まれの私には「男はつらいよ」での「さくら」としての彼女が印象に強く残っているのは仕方ないところです。

「さよならはダンスの後に」(昭和40年)で,優しい歌声も聞かせてくれました。

何も言わないでちょうだい
黙ってただ踊りましょ
だって,さよならは辛い
ダンスの後にしてね

未だに歌詞を少し覚えています。

「下町の太陽」も素晴らしくいい歌です。名曲だと思います。
   作詞 横井 弘  作曲 江口浩二



「おはなはんの歌」(昭和41年)も倍賞さんです。毎朝この曲を背中で聴きながら,学校に出かけていたことをよく覚えています。「おはなはん」の樫山文枝さんは可愛かったですね。ちょうど漫画の「はいからさんが通る」のような着物と髪でした。おはなはんの夫役が高橋幸治さん。長男役は津川雅彦さんです。蜷川幸雄さんが役者として出演されていました。


昭和44年発行開始の五百円札。すこーしレトロで,綺麗なデザインだと思います。昭和60年まで製造されていました。

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肖像は岩倉具視。彼について詳しくは知らないけれど,彼の玄孫に加山雄三がいる。つまり上原謙の奥さん,小桜葉子が岩倉具視のひ孫だったということです。

加山雄三の歌はよく聴きました。昭和43年「君といつまでも」が発売されて,昭和44年に友達の家で初めて見たステレオで,何度も何度も繰り返し聴きました。ませた子どもでしたね。先日NHKで見た加山雄三は気合いが入ってました。加山雄三も色々あったけれど,なんていうか,無条件で受け入れてしまう私です。


加山雄三
発売日:2003-08-27
価格
曲目 | 1.海 その愛 | 2.その日海からラプソディ | 3.蒼い星くず | 4.夜空の星 | 5.夜空を仰いで | 6.美しいヴィーナス | 7.お嫁においで | 8.旅立つ君に | 9.ブライト・ホーン | 10.光進丸 | 11.Hello!Pacific | 12.ぼくの妹に | 13.夕映えの恋人 | 14.メドレー:まだ見ぬ恋人~幻のアマリリス~いい娘だから~フィジーにおいで~白い砂の少女~ある日渚に | 15.知床旅情 | 16.見上げてごらん夜の星を | 17.旅人よ | 18.アンチェインド・メロディ | 19.ダニー・ボーイ | 20.好きにならずにいられない | 21.君といつまでも | 22.地球をセーリング | 23.さらばオーシャン | 24.海がそこにあったから | 25.恋は紅いバラ | 26.時を超えて |
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御三家

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昭和の御三家といえば「橋幸夫」「西郷輝彦」「舟木一夫」
という人は昭和20年代あるいはそれ以前の生まれだろうか。
「西城秀樹」「郷ひろみ」「野口五郎」という人は30年以降。

当時はみんなすごく売れましたね。私は、この六人、すべての人の歌を歌えます。皆さんそれぞれに色々なことがありましたね。橋さんは暴漢に軍刀で襲われたことがありました。吉永小百合さんとのデュエット「いつでも夢を」はいい歌でした。レコード大賞受賞です。西郷さんは辺見えみりさんのお父さん。関西テレビで放送された「どてらい男」(花登筺原作)はなんと3年半に渡る連続ドラマでした。「星のフラメンコ」はみんな歌えました。舟木さんは「高校3年生」で鮮烈デビューしました。自殺未遂事件が哀しかったです。

新御三家の3人はまだ記憶に新しすぎますが、今もって変わらないのは郷ひろみでしょうか。私は彼のアルバムを買います。聴きたくて仕方ありません。昔の郷さんの声は好きではなかったけれど、最近の声はセクシーです。彼のヒット曲を近年歌い直したCDがでています。これできまり!!


郷ひろみ
発売日:2001-07-04
価格
曲目 | 1.哀愁のカサブランカ | 2.よろしく哀愁 | 3.裸のビーナス | 4.言えないよ | 5.僕がどんなに君を好きか,君は知らない | 6.忘れられないひと | 7.逢いたくてしかたない | 8.ハリウッド・スキャンダル | 9.Careless whisper | 10.小さな体験 | 11.大人たちの Four Seasons | 12.ALL MY LIFE |
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