コレクションのその他の最近のブログ記事
昭和のダンヒルのライターです。頑固に変わらないデザインです。あの頃ダンヒル、カルチェ、デュポンは憧れのライターでした。アルフレッド・ダンヒルは1893年にロンドンで設立されたメンズ・ブランド。

まだ喫茶店でもらうマッチが貴重だった時代。少し背の低いマスターが一人、カウンターの向こう側で、黙ってグラスを磨いているような小さなカウンターバーがあった。私はまだ未成年だったけれど、ジンライムを好んで頼んだ。そんなカウンターバーで時々会うおじさんがいた。話などほとんどしたこともなかったけれど、おじさんはいつも私に一杯のジンライムを奢ってくれた。自分はスコッチをロックで飲み、背広の内ポケットから煙草を取り出し、カルチェのライターでシュッと火をつける。そしてライターを閉じると、甲高い澄んだ音が小さな店に響いた。いい音だった。
まだ喫茶店でもらうマッチが貴重だった時代。少し背の低いマスターが一人、カウンターの向こう側で、黙ってグラスを磨いているような小さなカウンターバーがあった。私はまだ未成年だったけれど、ジンライムを好んで頼んだ。そんなカウンターバーで時々会うおじさんがいた。話などほとんどしたこともなかったけれど、おじさんはいつも私に一杯のジンライムを奢ってくれた。自分はスコッチをロックで飲み、背広の内ポケットから煙草を取り出し、カルチェのライターでシュッと火をつける。そしてライターを閉じると、甲高い澄んだ音が小さな店に響いた。いい音だった。
昭和28年発行開始の百円札。デザインも色合いも板垣退助もレトロです。大きさは当時の千円札より一回り小さくて76×148mmです。
板垣退助は土佐の人。坂本龍馬,中岡慎太郎らと同じ時代を生きた武士であるが,龍馬などの郷士とはちがい,身分は上の武士であった。
明治維新後,岐阜で遊説中に襲われて負傷したときに「板垣死すとも自由は死せず」と言ったことは有名。私たちから見ると,土佐の「いごっそう」。「子孫に美田を残さず」と言って華族制度を批判したことにもその一面が現れていると思います。その他のエピソードとしては,ウナギと梅干しを一度に食べて,俗説を排し,稲荷神社のお守りを厠へ捨てて,罰が当たらないことを証明したり,まさしく「いごっそう」です。高知城登り口に銅像が建てられています。
少しOLDなデザインのボタン。右足に平和の象徴のオリーブの枝。左足に闘争を表す矢。この鷲は古代ローマ共和制のシンボル。これはアメリカの国鳥,白頭鷲でしょうね。昭和の頃に着ていたブレザーから外して持っているボタンです。
昭和40年代にはtraditional styleが流行りました。おもにアメリカ東部の伝統的スタイル。トラッド。しかし,ブリティッシュトラディショナルというのもある。このあたりがよく分からない。ニュートラディショナルというのもありました。ニュートラですね。
昭和40年後半,少しお洒落なジャズ喫茶に逃げ込む真夏日には,ロングピースに火をつけ,レモネードを注文し,MEN'S CLUBを読んでいたこともありました。なんだか,アートペッパーを聴きたくなりました。
追記
このボタンをじっと見ていると,右足につかんでいるのも矢であるような気がします。ネットで色々と調べましたが,納得できる情報には巡り合っていません・・。
昭和40年代初めでしょうか。キリンビールのレトロな灰皿です。懐かしいデザインです。ビールと言えばキリンビールだった時代です。
お使いに行かされたのは,小学生の頃。夕方になって,母親が一升瓶の中の日本酒の残りが少なくなっているのに気付いたとき。いつも五合瓶を買いに行かされました。
踏み切りを渡り,小さな路地を抜けたところに酒屋がありました。小さな酒屋には木でできたカウンターがあって,まだ外は明るいというのに,いつも一人か二人のおじさんが,小皿の上の透明のグラスになみなみと注がれたお酒を,こぼれないように気をつけながらすすっていました。そのカウンターの上に置かれていたのがこの灰皿です。

私は二級の五合瓶を両腕で抱えるようにして,来た道を戻ります。恐れたのは,途中で知らない犬に会うことです。あの頃は野良犬がまだたくさんいました。犬に噛まれることなど珍しくありませんでした。私は五合瓶を抱えたままでは野良犬から逃げきれないと思っていました。さらに顔見知りの野良犬の中にもたいそう性格の悪い奴が何匹がいました。そいつに会うと,私は知らぬふりをしてきびすを返し,遠回りして帰らなければなりませんでした。お使いに行かされて,二回のうち一回は遠回りしなければならなかった帰り道です。
昭和初期のものでしょうか。先日ある骨董収集家の方からアンティークなデザインの小皿を撮影させていただきました。お皿そのものが中国のものか日本のものかはよく知りませんが,おめでたい図柄です。松竹梅に鶴が飛んでいます。
松竹梅の由来は
松 冬でも青く,寿命が長い
竹 冬でも青く,雪にも折れない
梅 冬の雪の中でも花が咲く
鶴については中国の故事からきています。鶴は千年ですね。
ちなみに七福神は仏教や道教に由来し,中国やインドの神様とされているけれど,唯一恵比寿さんだけが日本の神道からきています。
ところで,ネットには色々な方がいます。
面白い記事を見つけました。
鶴は千年亀は万年の由来についてですが,
鶴は千年灸 亀は万年床
長生きしても元気でなくては意味がないということ
と,ユニークな説をあげられている方がいます。これはこれですごいです。
小学校の頃にあるお店で買ったであろう切手です。昭和のデザインだと思います。この切手は40年近く私の切手帳で眠っていたのです。
祖父の刻みタバコはたしか「ききょう」だったと思います。それを買いに行くのはほとんど私の仕事でした。当時でも,刻みタバコをおいてある店はそんなには多くなく,少し遠くのたばこ屋さんまで自転車をこいで買いに行きました。
古い家の一角を改造してたばこ屋をしているそのお店は切手も販売していました。時々,記念切手などが残っていると,白髪の綺麗なおばさんがそれを見せてくれます。気に入ったものがあると,それを取り置いてもらっておき,数日の小遣いを貯めて,受け取りに行きました。もちろん一枚だけです。
ややもすると,お金持ちの家の子は,発売される記念切手をすべてシートで買い,みんなに見せびらかしていたりしました。信じられなかったですね。切手をシートで買えるなんて・・。切手帳のページをめくるたびにバサッバサツと風を切る音がするのですから。そんな子どもにとっては,この写真の切手なんて多分屑にしか見えなかっただろうと思います。
刻みタバコと一緒に買った切手を汗で濡れたポケットに入れてしまったのか,それとも途中で夕立にでも降られて濡れてしまったのか,どうしてこんなに皺になったのか,今ではもう分かりませんが,私はこの皺だらけの切手が大好きです。
ミッフィーは昭和30年生まれ。レトロでもないし,デザインを語る必要もないですね。今日,「ディックブルーナに学ぶモダンアートの楽しみ方」という展覧会を見に美術館に行ってきました。
ディックブルーナは1927年オランダ生まれ。父親が出版社を経営していたので,アムステルダム国立美術アカデミーに学んだ後、父親の会社の専属デザイナーとして本の表紙のデザインの仕事をしていた。そして,昭和30年に生み出したウサギの「ナインチェ・プラウス」(Nijntje Pluis:蘭)を主人公にした絵本が広く受け入れられた。この「ナインチェ・プラウス」が日本では「うさこちゃん」とか「ミッフィー」と呼ばれるようになったのです。「ミッフィー」は昭和35年にイギリスで英語版が出版されるときに付けられた名前です。福音館書店系の絵本では「うさこちゃん」,講談社系のものでは「ミッフィー」と呼ばれているようです。
ナインチェは小さくて愛らしいウサギ,プラウスはふわふわの意。
昭和レトロなデザインです。昭和40年代後半の紙袋です。ナショナルの「パナカラー」が懐かしい。「クイントリックス」はステレオ放送のことですね。昭和の時代には「音声多重」と表現していたかもしれません。坊屋三郎さんが外人とやりとりしていたCMが流行りました。
カラーテレビの本放送は昭和35年に始まりましたが,まだまだ庶民の家にはカラーテレビなどなかった。カラーテレビの普及は,やはり昭和40年代に入ってからのことでした。あの頃,各メーカーはテレビに漢字の名前を付け,カラーに片仮名の名前を付けました。ナショナルの「嵯峨」は「パナカラー」,三菱の「高雄」は「ネオカラー」,サンヨーの「薔薇」は「サンカラー」,東芝の「名門」は「ユニカラー」そして日立の・・・日立のテレビに名前がついていたのを思い出せません。カラーは「キドカラー」,あの九官鳥みたいな「ポンパ」くんを思い出さずにはいられません。
昭和44年発行開始の五百円札。すこーしレトロで,綺麗なデザインだと思います。昭和60年まで製造されていました。
肖像は岩倉具視。彼について詳しくは知らないけれど,彼の玄孫に加山雄三がいる。つまり上原謙の奥さん,小桜葉子が岩倉具視のひ孫だったということです。
加山雄三の歌はよく聴きました。昭和43年「君といつまでも」が発売されて,昭和44年に友達の家で初めて見たステレオで,何度も何度も繰り返し聴きました。ませた子どもでしたね。先日NHKで見た加山雄三は気合いが入ってました。加山雄三も色々あったけれど,なんていうか,無条件で受け入れてしまう私です。

