印刷物の最近のブログ記事
昭和らしいデザイン。中山太陽堂のクラブ号です。実はこれ、ポストカードです。昭和30年代でしょうか。緑のフレームがきれいな自転車です。

クラブ号は現(株)クラブコスメチックス、当時の(株)中山太陽堂の金属部が製造した自転車でした。中山太陽堂は大阪市浪速区の会社で、もともとは化粧品メーカー。明治36年に創業。現在もクラブコスメのホームページがあります。

クラブ号は現(株)クラブコスメチックス、当時の(株)中山太陽堂の金属部が製造した自転車でした。中山太陽堂は大阪市浪速区の会社で、もともとは化粧品メーカー。明治36年に創業。現在もクラブコスメのホームページがあります。
昭和28年の衆議院議員の給料袋。デザインにあれこれ言うつもりはないのですが、現金で給料を受け取る時代でした。

昭和28年頃の公務員の初任給は1万円以下だったと思います。衆議院議員の給与は控除前で16万2千円。これは凄い額です。公務員の初任給を8千円とすると、ボーナスを6ヶ月分くらい足しても年収は14万4千円。衆議院議員の月給は一年生公務員の年収を超えています。今はどうなんだろうと調べていると、関西限定で放送されている「たかじんのそこまで言って委員会」で司会を務めている辛妨治郎,さんのコラムを見つけました。なにかが間違ってます。日本。
昭和28年頃の公務員の初任給は1万円以下だったと思います。衆議院議員の給与は控除前で16万2千円。これは凄い額です。公務員の初任給を8千円とすると、ボーナスを6ヶ月分くらい足しても年収は14万4千円。衆議院議員の月給は一年生公務員の年収を超えています。今はどうなんだろうと調べていると、関西限定で放送されている「たかじんのそこまで言って委員会」で司会を務めている辛妨治郎,さんのコラムを見つけました。なにかが間違ってます。日本。
昭和47年。青林堂から出版された「フーテン」。永島慎二先生の作品である。今取り出してきて表紙のデザインを見ても感慨深いものがある。永島先生の本は何冊も持っていたけれど,お金のないときに売ってしまって,今はこの「フーテン」を含めて数冊しか残っていない。
昭和42年の広告写真です。「チャイナー魔法瓶」と「パパポット」。これをレトロなデザインと言っていいものか,迷いますね。日陶産業株式会社の製品です。
魔法瓶なるものが日本に入ってきたのは20世紀初め,1909年とされています。これより5年前の1904年,ドイツのテルモス社が魔法瓶の商品化に成功しています。テルモスはドイツ語読みだと思います。あのTHERMOSです。現在,私はサーモスの携帯マグを2本持っています。
今はステンレスの保温器,保冷器が普通ですが,昭和のころは二重になったガラス瓶でした。ですから,乱暴に扱うと割れることが多々ありました。それにしても,「魔法瓶」というネーミングは何とかならなかったものでしょうか。魔法の瓶ですからねぇ。
昭和のデザインです。歌鬼という,阿久悠さんの作品のトリビュートアルバムのジャケットです。同棲時代という漫画がありましたが,その主人公である今日子を思い出しました。
同棲時代は上村一夫さんの代表作。昭和47年に漫画アクションに連載されました。あの頃はまだ同棲ということが社会的に認められているとは言い難い時代でした。今日子は私には手の届きそうにもない女性でした。それでも,同棲時代を読みながら,私は,今日子の赤い痛みの中に入ろうとしていました。しかし,理解しようと懸命になると,今日子は突然私を突き放します。今日子は上村一夫さんが生んだ女性であり,私は青い読者だっただけなのに。今日子に会ってみたくなりました。
昭和43年,東大阪市の司馬遼太郎さん。何というデザインの自転車だろう。不思議です。
司馬遼太郎さんは大正12年の生まれ。家は薬局。司馬遷からペンネームをとった。司馬遷に遠く及ばない男という意味らしい。
司馬さんの作品はどれも面白い。司馬さん自身も"小説は面白くなければならない"ことをモットーにされていた。土佐に住む人間としては「龍馬がゆく」を推さなければならないのかもしれないが,私は長宗我部元親を描いた「夏草の賦」が好きです。




