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昭和らしいレトロなデザインの痛み止め。「頭痛トンプク」が商品名でしょうか。西海製薬株式会社。佐賀県の会社で、今もあります。
小学校5年生の頃でしょうか。一晩歯がうずいて、翌日歯医者に行きました。診察台の周りにはいろいろな器具があり、炎が立ち上がっているものもありました。これだけで、小学生を脅すには充分です。無口なお医者さんは「抜かないかんな」とボソリと呟きました。覚悟を決めた私は、これでもかと言わんばかりに、麻酔の効いた口を大きく開けて、抜歯を我慢しました。乳歯だったので、さほど時間もかからずに歯は抜けたのですが、治療はそこまで。消毒もなしです。
お医者さんは、またボソリと、
「外に水道があるから口をゆすいどいて」
診察室を出ると、待合室の奥に洗面台があり、そこで口をゆすぐと鮮やかな色の血がたくさん流れました。なかなか血が止まらない口をゆすぎながら、何故か私は奇妙な充実感に包まれて幸せでした。昭和の話です。
昭和33年頃に発売された永野旭堂のニコニコパンです。昭和レトロなデザインが暖かいです。

昭和33年頃にこのようなパンを発売したというのは凄いことだと思います。昭和30年代にパンを食べる家庭生活は、少なくとも、私たちにはなかった。パンというのは学校の給食で出るコッペパンのことでした。給食のコッペパンはほとんど味も付いていないようなものでしたが、希にマーガリンが添えられていることがありました。そのときは嬉しかったですね。
そんな30年代に砂糖のざらざらとした食感が残るクリームを挟んだニコニコパンを発売するというのは斬新なことだったと思います。
高知の永野旭堂といえば、「ぼうしパン」を最初に作ったことで有名です。しかし「ぼうしパン」を県外では見かけませんねぇ。
昭和42年の広告写真です。「チャイナー魔法瓶」と「パパポット」。これをレトロなデザインと言っていいものか,迷いますね。日陶産業株式会社の製品です。
魔法瓶なるものが日本に入ってきたのは20世紀初め,1909年とされています。これより5年前の1904年,ドイツのテルモス社が魔法瓶の商品化に成功しています。テルモスはドイツ語読みだと思います。あのTHERMOSです。現在,私はサーモスの携帯マグを2本持っています。
今はステンレスの保温器,保冷器が普通ですが,昭和のころは二重になったガラス瓶でした。ですから,乱暴に扱うと割れることが多々ありました。それにしても,「魔法瓶」というネーミングは何とかならなかったものでしょうか。魔法の瓶ですからねぇ。
昭和の繊維壁にひらひらと留められた富山の薬屋の広告。昭和らしいデザインです。
繊維壁は昭和40年代には大流行でした。50年代にはホームセンターでも材料を売っていました。今でもあるかもしれませんね。繊維壁の素材は「パルプ」「ワラ」「紙」「糸」などに「樹脂」を混ぜたものです。月日を経ると,ぼろぼろと剥がれて落ちてきます。うちの壁は崩れます。左官屋さんのページを見つけました。面白いです。




