薬などの最近のブログ記事

冷たい水

| | トラックバック(0)
昭和30年代頃でしょうか。西海メンタムという塗布薬です。デザインが当時を偲ばせます。

西海メンタム。佐賀県三養基郡基山町の西海製薬株式会社の製品です。効能は切り傷、打ち身、しもやけなどです。ワセリンが主成分のようですね。

saikaimentam.jpg

冬の朝は、顔を洗うのが嫌だった。水道の冷たい水に手を触れるのが怖かった。洗濯も台所仕事もすべて水。水仕事を続けているとあかぎれやしもやけになる。そんなときの万能薬がメンタムだった。しばらくして、万能薬の座はオロナインに取って代わられることになるのだが・・。

水道の水も出ない朝があった。南国土佐でも水道管の中で水が凍るのだ。だから、お風呂の残り湯は大切なものだった。明日の朝は寒くなりそうだという就寝前には、水が凍らないように、台所の流しにバケツを置き、蛇口をほんの少しだけひねった。水道管の中に水流を作ると同時に、水を汲み置いたのである。

にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ
昭和のはら薬。製造は岡山縣製薬株式會社。レトロというか、なんというか、良く言えば天衣無縫か・・。

akadamaharagusuri.jpg

幼稚園に通っていた頃、わたしはよく自家中毒で入院した。記憶にあるのは、病院で出される麩の味噌汁が嫌だったこと。以来、大人になるまでわたしは麩を好まなかった。この記事を書いていて、思い出した。わたしのベッドの傍らには母親が付き添っていたことを。嘔吐を繰り返すわたしは母親といくつかの夜を過ごしていたのだ。夜になると病室の照明は天井の蛍光灯についている豆球だけになり、静かな病室には路面電車の音が聞こえていた。遠い記憶。

にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ

瓶は十円

| | トラックバック(0)
昭和を思い出すコカコーラの瓶。復刻版デザインで、「コカコーラナショナルビバレッジ」の記載がある。現在の販売者は「コカ・コーラ カスタマーマーケティング」である。

cocacola3.jpg

あの頃、液体は須らく瓶で売られていた。お酒や、醤油も瓶。販売するときには瓶の料金が含まれていた。だから、コーラの瓶を返しに行くと、10円が貰えた。あの頃の子どもにとって10円は貴重だった。
一日の小遣いが10円を超えることはなかった。瓶が道や公園などに捨てられていることは全く稀なことだったけれど、その千載一遇のチャンスにめぐり合えたときは嬉しかった。瓶を持って酒屋さんまで走った。そして、駄菓子屋さんのおばさんからメンコを買い、親の裁縫鋏で切り取った。

風邪で学校を休んだときは、加奈代ちゃんが給食のコッペパンを届けてくれた小学校の頃の思い出。

にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ
昭和のインスタントラーメン。チャルメラ。デザインが少しずつ変わっている。

tyarumera-quo.jpg

このQUOカードの写真ではわからないが、昭和のチャルメラおじさんはズボンの膝の部分につぎはぎをしていた。それが、いつ頃からか、つぎはぎが無くなり、今では髭が無くなり、黒猫もいない。

tyarumera2.jpeg


つぎはぎが無くなったときは、消費者からの「屋台を営む人への偏見」というクレームに対して明星食品が対応したという。しかし、チャルメラが発売されたのは昭和41年。つぎはぎは常識だった。チャルメラおじさんも、物を大事にした時代の象徴として昔のままでいた方がいいと思うのは私だけだろうか。


ちなみにチャルメラの前は昭和37年発売の「明星ラーメン」

myoujyouramen.jpg


これはとても懐かしい。夏休みの昼ご飯、私は自分でこのラーメンを作って食べていた。まだガスバーナーをマッチで着火しなければならない時代のことである。

にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ
昭和40年代のセイコーの手巻き目覚まし時計。赤と金色が少し驚かせてくれるデザインです。

seiko-6.jpg

40年代初期はまだみんな貧しかった。時計など、一家に一つあればよかった。今のように子供部屋などはないので、親が起きれば、自然に目が覚めるか、布団をはがされてたたき起こされるか、どちらかだった。朝食は前夜の残り物を食べ、ランドセルを背負って学校へ行った。小学生の私たちには時計は必要なかった。学校が終われば、山で遊び、川で遊び、空き地で遊んだ。そして山の端に日が落ちかける頃になると三々五々自分の家に帰って行く。そんな毎日が繰り返されただけのことだったが、不安など微塵も持たなかった。昭和。

にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ

ミルキーのど飴

| | トラックバック(0)
ペコちゃんののど飴。そしてミルキー。昭和後期から変わらないデザイン。

pekochan.jpg

昭和30年代にのど飴は無かったのではないでしょうか。喉が痛いことはよくありました。そんな時は塩水でうがいすることが常でした。あのころ、インフルエンザの予防注射なんてしていたのでしょうか・・。あの頃は「流行性感冒」を略して「流感」と言っていたような覚えもあります。

寒風の中、鼻水垂らして元気に遊ぶ子どもはたくさんいました。鼻水をセーターの袖でぬぐうものだから、テカテカに光っていた袖口。

にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ


宇宙流武宮正樹

| | トラックバック(0)
障子に襖。炬燵に蜜柑。テレビのデザインと室内アンテナが昭和である。

takemiya.jpg

よく見ると、炬燵の上にはカステラもある。

実はこの写真、昭和43年の武宮正樹九段の家族との写真である。武宮九段は囲碁界の人。宇宙流で名を馳せた。その碁風は私たちの常識を180度覆すもので、テレビで観戦していてとても愉しかった。昭和何年だったろう、私は囲碁戦の解説会場に出かけていき、「次の一手」を当てて、優勝した武宮九段から商品をもらったことがある。懐かしい思い出だ。

この写真の武宮九段は17歳。この8年後に本因坊となる。

にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ

火鉢

| | トラックバック(0)
昭和の火鉢です。あの頃、特にデザイン的なものが施されていない、こういった火鉢がとても一般的なものでした。

hibachi.jpg

北風が吹き始める頃、押し入れの奥から火鉢を引きずり出し、灰を入れて、炭を買って、五徳を立て、火を入れる。小学校から帰ってくると、親の目を盗んで、この火鉢の上にしゃがんでお尻を温めた。寒い夜はどてらを着こんで、火鉢に手をかざし、五徳の上でチンチンに熱くなる鉄瓶から昇る湯気を飽かず眺めた。遠い昭和。暖かい昭和。

にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ
どこか昭和を感じさせるデザイン。今石電機製作所の「レトルトクッキング」。水を使わずに、レトルトパウチを暖める機械です。

retorutocooking.jpg

昭和のレトルトといえば「ボンカレー」です。昭和43年に発売された「ボンカレー」だが、あまり食べた記憶がない。カレーは母親が大鍋にたくさん作っておき、それを毎日温め直して食べるというのがあの頃のカレーだったように思う。ある友達の家は、いつ行ってもカレーがあった。不思議だった。

先日、30年ぶりにその友達の家を訪ねると、だいぶん年老いた友達の母親が出てきて、「カレーがあるから、食べていきなさい」と私に言う。不思議は、もっと不思議になった。

にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ
昭和と言わず、太古から昇り続けている月。遠くで犬の遠吠えが聞こえる秋の夕方。ふと自分を振り返る。

tsuki.jpg

縁側でススキを飾り、三宝にお団子を盛り、まあるい月を家族で愛でる。私にはそうした記憶がない。思わず口ずさむ「月の砂漠」。作詞された加藤まさをさんは静岡生まれの画家です。本の挿絵などで活躍された方ですが、多才な方で、少女小説も書かれており、この「月の砂漠」も大正12年に『少女倶楽部』の三月号に発表されました。

月の砂漠をはるばると
旅の駱駝がゆきました
金と銀との鞍置いて
二つならんでゆきました

金の鞍には銀の甕
銀の鞍には金の甕
二つの甕は それぞれに
紐で結んでありました

さきの鞍には王子様
あとの鞍にはお姫様
乗った二人は おそろいの
白い上着を着てました

曠い砂漠をひとすじに
二人はどこへゆくのでしょう
朧にけぶる月の夜を
対の駱駝はとぼとぼと

砂丘を越えて行きました
黙って越えて行きました


にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ

昭和の理容店

| | トラックバック(0)
昭和の雰囲気を醸し出す理容店。窓枠など木製です。テントの三色のデザインがやはり昭和です。

riyouten.jpg

昭和40年代、休日の床屋さんはどこもお客さんで一杯で、一時間待ちは珍しいことではありませんでした。待ち時間は漫画を貪り読みました。少年マガジン、少年サンデー、少年キング、冒険王、少年、少年画報・・。少年マガジンは昭和34年、大関朝汐を表紙として創刊、それならばと、少年サンデーは長嶋茂雄を表紙に持ってきた。これは有名な話。当時の定価は50円。後発の少年キングはそれより少し安かったような記憶がある。まあ、どのみち、漫画を読むのは貸本屋か、床屋であり、買うことなどなかったので価格は関係なかったのだけれど。

にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ
昭和らしいデザイン。中山太陽堂のクラブ号です。実はこれ、ポストカードです。昭和30年代でしょうか。緑のフレームがきれいな自転車です。

club-go.jpg

クラブ号は現(株)クラブコスメチックス、当時の(株)中山太陽堂の金属部が製造した自転車でした。中山太陽堂は大阪市浪速区の会社で、もともとは化粧品メーカー。明治36年に創業。現在もクラブコスメのホームページがあります。

にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ

浦島海苔万歳

| | トラックバック(0)
昭和のデザインとは違っているが、あの頃、西日本で海苔と言えば浦島海苔だった。平成に入って次第に他のメーカーに押されるようになるが、最近蘇った浦島海苔。ホームページも丁寧に作られています。

urashimanori.jpg

浦島海苔株式会社の創業は大正3年。おかずがなければ海苔で食べる、とはいかなかった昭和。まだ貧しかった私たちには、海苔はごちそうだった。おかずがないときは、塩か醤油をかけて、ごはんを食べていた。海苔で巻いたおにぎりも高級に見えた。だから、お正月に母親が作る太巻き寿司などは、やはり年に一度食べるにふさわしいものだったと言える。

にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ
昭和の自転車のデザインに愛情を感じる原因の一つにエンブレムがある。
駐輪場でラレーの自転車を発見。自分のラレー以外を見たことがなかったので、携帯のカメラで撮影しました。ラレーのエンブレムも好きです。英国らしいこだわりがあります。写真に見えている範囲で4つのエンブレムがあります。    

rareigh.jpg
           
 Frank Bowdenがノッテンガム・ラレーストリートにあった自転車屋を買い取り、Raleigh Bicycle Companyを作ったのが、1887年。明治19年のことです。Frank Bowdenは香港で事業をしていたが激務のために体調を崩し、イギリスに帰国、医者に勧められたのが自転車だった。この自転車のおかげでFrank Bowdenは体調を回復させる。それが自転車産業に参加するきっかけになったのです。

にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ
昭和の40年代終わりだったでしょうか。「無名仮名人名簿」は週刊文春に連載されていたエッセイです。そのエッセイの題字。いいデザインだと思います。そして懐かしいデザインです。

mumeikanajin.jpg

あの頃、父親が定期購読していた週刊文春の、この向田邦子さんの随筆を読むのが楽しみでした。柔らかい言葉で日常を深く切り取ってゆく向田さんの文章が大好きでした。畳に腹ばいになって、2ページ分の言葉を丁寧に噛みしめながら読んだあの日。

向田さんが飛行機事故で亡くなってから、一切彼女の文章を読むことができなくなっていた私だったけれど、昨日、秋風が吹き始めた深夜の書店で、そっと2冊の文庫本を手に取った。

にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ
キリンビールのロゴです。昭和18年ごろのデザインです。麒麟麦酒株式会社製造。戦時中ということでしょうか、非常に質素なデザインです。麒麟のマークがないのは、麒麟が中国の故事から生まれた生き物だからなのでしょうか。いろいろと勘ぐってしまいます。

kirinlogo-6.jpg

ロゴを見つめていると、なぜか、向田邦子さんの「あ・うん」を思いだし、しみじみとしてしまう秋です。

にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ

ソニーのICR-N30

| | トラックバック(0)
昭和のデザインのICR-N30です。昭和の終わり頃の発売だったと記憶しています。短波と中波を受信。受信感度はまずまずですが、音質が低音よりです。

ICR-N30-500.jpg

学生の頃、VOAを聴くのが格好いいと思っていましたね。Voice of Americaです。VOAの日本語放送は昭和45年に終わっていたので、すべて英語の放送でした。当然意味はわかりませんが、アメリカ英語の独特のリズムとJAZZをラジオから流しているだけで、奇妙な満足感があったものです。

にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ
<一般>

    * 往診
    * 訪問看護
    * 気管切開管理
    * 中心静脈栄養
    * バルーン(自己導尿)   
    * 訪問診療
    * 訪問リハビリ
    * 蓐瘡処置
    * 在宅ターミナル
    * 点滴
    * 経管栄養
    * 在宅酸素療法
    * 在宅自己連続携行式腹膜透析(CAPD)
    * 訪問看護ステーションの利用

<医療連携>

        中央地区在宅支援システムほか近森病院、岡村病院、高知医大との連携

<医療機関名>    

    医療法人穂仁会 植田医院

          
<院長名>    

    植田 一穂

intyou.jpg

          
<院長プロフ>    

    昭和31年6月13日生


      昭和58年長崎大学医学部卒業
      同年、高知医大第二内科入局
      59年6月-60年9月近森病院に出向
      その後、医員、助手を経て
      平成4年7月、穂仁会植田医院開設
      現在にいたる。

    糖尿病性腎症の研究に従事。医学博士
    日本内科学会内科専門医
    日本糖尿病学会専門医
    日本腎臓学会専門医
    日本リウマチ財団登録医
    日本リハビリテーション学会臨床認定医
    日本医師会認定産業医
    日本体育協会認定スポーツドクター
    所属学会上記学会の他、日本呼吸器学会、日本消化器学会
             
       
<オープンシステム>  
 

    高知医療センター・高知赤十字病院

        
<嘱託医>
 

    学校医 追手前小学校産業医 リョウショク・百足屋工業

        
 <公費負担・各種指定>
 

    健康保険法・国民健康保険法・船員保険法・生活保護法
    結核予防法・原爆医療・特定疾患治療研究事業

植田医院が紹介されているされている書籍
「在宅ケアをしてくれるお医者さんがわかる本」
「日本の家庭医08」

               
 


大きな地図で見る
 
電話      088-823-8814  
所在地  高知市廿代町1-8  
駐車場  K'sパーキング(診察時は基本料金無料)


昭和のダンヒルのライターです。頑固に変わらないデザインです。あの頃ダンヒル、カルチェ、デュポンは憧れのライターでした。アルフレッド・ダンヒルは1893年にロンドンで設立されたメンズ・ブランド。

dunhill.jpg

まだ喫茶店でもらうマッチが貴重だった時代。少し背の低いマスターが一人、カウンターの向こう側で、黙ってグラスを磨いているような小さなカウンターバーがあった。私はまだ未成年だったけれど、ジンライムを好んで頼んだ。そんなカウンターバーで時々会うおじさんがいた。話などほとんどしたこともなかったけれど、おじさんはいつも私に一杯のジンライムを奢ってくれた。自分はスコッチをロックで飲み、背広の内ポケットから煙草を取り出し、カルチェのライターでシュッと火をつける。そしてライターを閉じると、甲高い澄んだ音が小さな店に響いた。いい音だった。

にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ
昭和と全く変わらない浜辺の風景。幼い頃唇かみしめたまま眺め続けた海です。

hama.jpg

私の家の墓はこの浜の反対側、松林の中にある。線香やしきびを揃え、干菓子を買い、バスを乗り継いで、2時間近くの時間を費やしてこの浜まで墓参りにきた。近くの寺で水を分けてもらい、雑草を抜いてきれいになった墓に小さな手を合わせたあの頃。

そろそろ今年も旧盆です。

にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ

アルミの弁当箱

| | トラックバック(0)
昭和40年代でしょうか。レトロなデザインのアルミの弁当箱。懐かしいです。当時、このおかず入れが画期的でした。醤油入れまで付いています。

bentoubako.jpg

日軽アルミニウム工業の弁当箱です。当時、父親がこの弁当箱を使い始めたとき、羨ましくて仕方なかった。おかず入れに入るのは前の晩の残り物だったが、憧れのお弁当でしたね。あの頃、ご飯の真ん中に梅干しを一つ置いて、日の丸弁当にするのが普通のことだったので、梅干しの酸の影響でふたに穴が開いたという話を聞きましたが、実際に見たことはありません。

ひとつ。今でもわからないことがあります。ご飯の部分とおかずの部分を隔てる敷居がありますが、この端がカーブを描いていて直線ではないこと。この部分はどう使うのが正解なのでしょう・・。

にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ

昭和37年のシチズンオートデータの広告です。皇太子が東南アジアを訪問したときのアサヒグラフの広告ですから、日本の国旗をデザインし、さらに東南アジアを強く意識したものになっています。

citizon-kokoku.jpg

シチズンオートデータは自動巻でカレンダー付き。セイコーロードマーベルと似ています。ネットでいろいろと見ていると欲しくなってきます・・・。

にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ
昭和らしいレトロなデザインの痛み止め。「頭痛トンプク」が商品名でしょうか。西海製薬株式会社。佐賀県の会社で、今もあります。

saikaiseiyaku.jpg

小学校5年生の頃でしょうか。一晩歯がうずいて、翌日歯医者に行きました。診察台の周りにはいろいろな器具があり、炎が立ち上がっているものもありました。これだけで、小学生を脅すには充分です。無口なお医者さんは「抜かないかんな」とボソリと呟きました。覚悟を決めた私は、これでもかと言わんばかりに、麻酔の効いた口を大きく開けて、抜歯を我慢しました。乳歯だったので、さほど時間もかからずに歯は抜けたのですが、治療はそこまで。消毒もなしです。
お医者さんは、またボソリと、
「外に水道があるから口をゆすいどいて」

診察室を出ると、待合室の奥に洗面台があり、そこで口をゆすぐと鮮やかな色の血がたくさん流れました。なかなか血が止まらない口をゆすぎながら、何故か私は奇妙な充実感に包まれて幸せでした。昭和の話です。

コルゲンコーワのケロちゃん。昭和のモノとは違うデザインですが、相変わらず憎めないキャラです

kero.jpg

興和株式会社のマスコットであるケロちゃんが生まれたのは昭和33年。「コルゲンコーワ」や「キャベジンコーワ」のCMを覚えています。写真は大きいケロちゃんの顔にピントを合わせて撮ったモノですが、じーっと眺めていると・・このふたつの人形顔が違います!!

調べました。まつげがある方がケロちゃんで女の子、まつげのない方がコロちゃんで男の子だそうです。大きい女の子と小さな男の子のツーショットということになりますね。

にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ


「できるかな」のノッポさんとゴン太くん。「できるかな」の元になった番組は昭和42年に始まった「なにしてあそぼう」。私たちが鮮明に覚えているのはこちらの番組である。この「なにしてあそぼう」の時のノッポさんの相手はゴン太くんではなかった。昭和45年「なにしてあそぼう」は終了したが、昭和46年からノッポさんとゴン太くんが登場した「できるかな」が始まることになる。

nopposan.jpg

ノッポさんの本名は高見映さん。NHKの「三匹の子豚」のオオカミを演じていたのは、高見映さんと高橋悦史さんというから驚きです。

にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ
昭和40年代初め、自転車の横に、そうバイクのサイドバッグの位置に、折りたたみができるかごをつけるのが流行りました。当時の物をつけている自転車を発見しました。「Sports」の文字が昭和らしいレトロなデザインと言えなくもないでしょうかね。。

kago.jpg

懐かしいです。このかごを広げるとちょうど学生鞄が入る大きさになります。学校の帰りに友達と二人乗りをするときには、このかごをたたみ、後ろに乗った方が鞄を二つ持つのです。

にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ

スズキ・ラパン

| | トラックバック(0)
スズキにLapinという車があるのは知っていたけれど、フランス語で「うさぎ」という意味で、フロントのエンブレムにうさぎがいるとは知らなかったのです。昭和のデザインとは思わないけれど、思わず携帯のカメラで撮ってしまった。

lapin.jpg

スズキといえばセルボが印象深いですね。水冷2スト3気筒、なんとRRでした。あのジウジアーロのデザインをベースとして登場したフロンテクーペの後継車。軽の新規格550ccで、とてもスポーティーに走ったことを覚えています。Wikipediaに写真があります。

にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ

快獣ブースカ

| | トラックバック(0)
昭和41年から日本テレビ系で放送された快獣ブースカのフォトフレームです。好物のラーメンを持っているところがいいですね。向こう側にはチャメゴンがいます。

booska.jpg

ブースカの特徴は、WEBで調べると、いろいろと書かれています。
心優しくて、ナイーブ。百トン力。飛行能力。ラーメンが好物で30杯は食べられる。10キロ先の音も聞こえる。亀が苦手。云々。

あの頃、白黒テレビで見た快獣ブースカ。シオシオのパー。

にほんブログ村 インテリアブログ アンティーク・レトロインテリアへ

profile


  • dandan
  • 昭和30年代生
  • A型・水瓶座
  • 犬は「チコ」
Powered by Movable Type 4.21-ja

wish Rakuten















link

2016年11月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

メール