ファッションの最近のブログ記事

アーァアーー

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昭和の時代には、親戚の叔父さんの山で筍を掘った。近くの小山に遊びに行くときには、ポケットに紙で包んだ塩を忍ばせた。春は山菜が沢山生えていたが、子どもの狙いはイタドリだった。イタドリに塩をかけてそのままかじりながら小山を探検していると、いくつもの防空壕があった。防空壕は怖かった。奥の見えない穴というのは大抵怖いものだ。大きく育った蔦を使ってターザンにもなった。みんなかならず「アーァアーー」と雄叫びを上げた。何の不安もなかった。明日を思い煩うこともなかった。

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庭で苺が次々と赤く実っていく五月である。

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アマポーラ

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昭和の時代には、あんぱんとジャムパンとクリームパン、この三つが菓子パンの代表でした。あんぱんといえば木村屋です。明治7年に銀座で売り出されたというのですからその歴史はすごいものです。明治8年4月4日に明治天皇に献上されたことから、4月4日は「あんぱんの日」になっているそうです。

しかし昭和30年代にあんぱんを食べた記憶がありません。あの頃のパンといえば給食のコッペパンだったし、おやつはサツマイモを蒸かしたものが日常でした。近所の駄菓子屋さんにあんぱんはなかったのです。

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あんぱんの上にのっているツブツブはひなげしの種です。ひなげしはスペイン語でアマポーラ。1924年に作られた「アマポーラ」という歌があります。ロバートデニーロ主演の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の挿入歌としても使われました。あんぱん以上に甘い歌です。昭和56年でしたか・・・山下達郎の「ON THE STREET CORNER 2」の一曲目がこの「アマポーラ」です。当時、東京へ向かう新幹線の中で、友人に借りたウォークマンで聞き続けた曲です。恋していた昭和です。

AMAPOLA, my pretty little poppy,
You're like that lovely flow'r so sweet and heavenly.
Since I found you,My heart is wrapped around you.
And loving you, it seems to beat a rhapsody.
AMAPOLA,the pretty little poppy must copy its endearing charm from you.
AMAPOLA,AMAPOLA,How I long to hear you say "I love you."
(出典:Wikipedia)
作詞:ALBERT GAMSE/作曲:JOSEPH M. LACALLE/


サクマ式・・・

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昭和を思い出させるデザインのドロップ缶です。

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千葉県出身の佐久間総治郎が国産のドロップを完成させたのは明治41年のこと。このときの名称は、正確には「サクマ式ドロップス」が登録商標です。ところが、この缶をよく見ていると、サクマドロップスになっています。調べてみると、佐久間製菓は戦後、佐久間製菓株式会社とサクマ製菓株式会社に別れたらしい。創業者のサクマ式ドロップスを引き継いだのは、佐久間製菓で、わたしが買ったのはサクマ製菓です。だから、サクマドロップスになっているのです。

こうなれば、今度はサクマ式を買ってみるしかないと思いますね・・・。

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仮面ライダーは昭和46年から放映された。写真は「仮面サイダー」潔いネーミングのサイダーで、仮面ライダーの姿をデザインしているが、このシリーズは全部で9種類あるようだ。DYDOの復刻版シリーズである。

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残念ながら、テレビの仮面ライダーはほとんど見たことがない。やはり私の年代はウルトラQとウルトラマンだろうか。いや、実写としては月光仮面か。あの頃私は風呂敷をマントにして、駄菓子屋で売っていた白縁のサングラスをかけて、風を切って走っていた。親からしかられて家を追い出されることも度々だったが、いつも、近所の家で受け入れてもらい、お菓子を食べたりしていた。そうこうしているうちに親が迎えに来るのである。町内が共同体のようなものだった昭和。

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郷ひろみも55歳を迎えた。ジャケットデザインに無限大の記号が使われている・・。郷ひろみは今が一番輝いているのではないかと思う。


あの頃、私は女子校の女の子と何度かデートをしたことがある。おとなしい彼女と公園のベンチで二人並んで座り、夕暮れまで過ごした。
「郷ひろみと野口五郎と西城秀樹の誰が一番好き?」
彼女は私に尋ねた。あの頃、この話題はみんなが共有していたことと思う。しかし、私が何と答えたのか、記憶にない。

その後20年ほど経って、奇遇にも、私は彼女の父親と同じ職場で働くことになった。彼女の父親の話では、私は何度も彼女の家に行ったそうだ。そして、彼女の母親とも随分仲良くなっていたらしい。だけれど、当時でさえ、私にはそれらの記憶がなかった。

想いを遡ってみて蘇るのは、公園のベンチと、私が着ていたヘンリーネックのTシャツ、そして夕陽に染められていく彼女の綺麗な横顔だけだ。なんだか、心が痛くなってくる。

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ミッフィーの誕生日は6月20日。昭和30年に生まれてから55周年を迎える。オランダ語では「ナインチェ・ブラウス」。福音館書店の本では「うさこちゃん」英語版で「ミッフィー」と名付けられた。ミッフィーのデザインには変遷があるが、どれもミッフィーである。

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岡山限定のミッフィー。桃を持っています。たまりません。日本には色々なキャラクターが存在するけれど、何故こんなにミッフィーに愛情がわくのでしょうか。

誤解されるでしょうが、怖れずに言うと、ミッフィーは私自身であり、あなた自身であるからだと思っています。

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紙風船

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静かな秋の日に紙風船。昭和の時代によく家の中で遊んだ紙風船。そのデザインは今でも変わらない。

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昭和30年代には、富山の薬売りのおじさんが、大きな行李を大きな風呂敷のようなもので背負い、年に何度か我が家にもやってきた。玄関で「こんにちは」と言う声が聞こえると、すぐにおじさんだと分かった。おじさんの声は低くてなめらかだった。玄関で行李の蓋を開けるおじさんの七三に分けられた黒い髪の毛は整髪料で光っており、行李の中には驚くほどたくさんの薬が綺麗に並べられていて、その端っこに紙風船がいくつか畳まれていた。

先日、Amazonにデザイン関係の本を注文したのだけれど、翌日には、買う気がなくなって、キャンセルの手続きをしようとしたが、すでに発送の手続きに入っているという表示がされているだけで、何もできなかった。仕方なく諦めていたが、今日紙風船を膨らませているときにパソコンに届いたAmazonからのメールは、商品が手に入らないのでキャンセルさせていただく旨のお詫びのメールだった。

静かな秋の日に紙風船をついてみる。

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HONDA CB1100

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昭和の写真ではありません。でも昭和のCB400のデザインに似ていると思いませんか。空冷4気筒。一本出しののマフラーです。今年発売されたCB1100の壁紙の一部を切り取りました。

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今日BSの録画していたものを見ていたら、このバイクに出会いました。1100ccなのに最高出力が88PSしかない。しかしトルクは92N・mもある。もう設計者の意図が分かります。価格も100万円以下。(ちなみに昭和51年のCB400は100万円を軽く越えます)さすがに細部にコストダウンの悲しい跡が見受けられますが、バイク乗りは自分で部品を交換します。私はいつかこのバイクに乗ることに決めました。

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乙女のワルツ

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昭和のジャケットデザインが懐かしい伊藤咲子の「乙女のワルツ」。

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昭和50年頃、私は東京に住んでいた。あの頃一番大事だったものは、アルバイトをして買ったオーディオセット。YMAHAのウッディなレコードプレーヤー、トリオのアンプとチューナー、山水のスピーカー、TEACのカセットデッキ。四畳半一間、トイレ共同、風呂無しの下宿で、sugar babe、センチメンタルシティロマンス、はっぴいえんどなどを聴いていたが、歌謡曲のLPが一枚だけあった。それが「乙女のワルツ」このLPは本当に擦り切れんばかりに聴いた。

私は彼女に会ったことがある。東中野の駅前で堀越学園の制服を着た彼女が駅から出てきて、私は駅に向かっていて、すぐに彼女だと分かった私は、彼女を見つめながら歩いた。そして彼女との距離が数メートルになったところで立ち止まった。すると彼女も立ち止まって私を見ていた。長く感じられた時間だが、本当は5秒とは立ち止まってはいなかっただろう。

YouTubeで検索すると「乙女のワルツ」のカラオケの動画みたいなものがある。何気なく再生してみると倉敷の町のショットで作られている。倉敷アイビースクエアは、旅行嫌いの私が初めて旅行したときに泊まったホテルだ。そして、このホテルに泊まった一ヶ月後に私は生死の境に臨むことになった。もう一度行ってみたい衝動が抑えられない。


さっきからもう1時間以上聴き続けている「乙女のワルツ」
作詞は 故 阿久 悠さんである。

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「氷の世界」

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井上陽水の「氷の世界」。昭和48年12月発売。デザイン云々を語る前に、このジャケットは一生忘れられない。陽水が抱えているギターは忌野清志郎からもらったものである。

最近、井上陽水がステージの上で、「いぇーい」と言うことがあるのをご存じだろうか。もう随分前、陽水と清志郎が同じステージに立ったことがあるのだが、そのとき、大勢の観客の前で、清志郎はシャイな陽水に向かって「いぇーい、って言え」と突っ込んだことがある。しかし、陽水は何も言えなかった。言えないまま、清志郎は病を得、そして亡くなった。今日、陽水の発する「いぇーい」は清志郎に向かって言っているのだと私は勝手に信じている。

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あの頃、私は高校生だった。寒い道を、当時付き合っていた同級生の女の子と歩いて家まで帰って、このLPを一体何度聞いたことか。冬の日は短い。畳の部屋に二人で座り、灯りもつけずに、次第に暗くなってゆくままに石油ストーブの火をじっとみつめたまま、二人は陽水を聴いていた。何も語らなかった。見つめ合うこともなかったし、触れ合うこともなかった。二人はただ聴いていた。

私は彼女といつも一緒にいたと思っている。一緒に喫茶店に入り、一緒に夜汽車に乗り、一緒に遠い海を眺め、一緒に机を並べて勉強もした。でも私は彼女とキスさえもできなかった。そして、何故か、私には、彼女と話をした記憶がない。

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昭和を思い出させるデザインのコカコーラの190ml瓶。今でも、売られています。

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コーラとは、コーラ・ナッツのエキスを用いて作られているから。コカとはコカの葉のこと。もちろん、現在のコカコーラにはコカの成分は入っていない。

コカコーラについては、昭和30年代に色々なことが言われた。コールタールが入っているだとか、コカインが入っているから中毒になるだとか。コーラを飲むと歯が溶ける。そして、瓶の底の横側にくぼんだ部分の形によって、四角は辛口で、丸は甘口だとか。まあ、コーラの色を見て、飲み物であるという認識ができなかった当時の日本人としては、色々な噂話をまことしやかに語るには絶好の対象だっただろうと思う。

あの頃、喫茶店に行けば、コーラに輪切りのレモンを添えたものがメニューにあったのだが、今でもあるのだろうか。

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昭和を思い出すカレーとデザインがあたたかい砥部焼のお皿。

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昭和20年代に、そんなにFATな大人はいなかったように思う。昭和30年代には「中年太り」なる言葉がそこここで聞かれるようになった。そんな時代に、子どもたちの一番のごちそうはカレーライスだった。近年の調査ではカレーの消費量は減少の一途をたどり、子どもの好物にはカレーライスのほかに、寿司やオムライス、ハンバーグやパスタが入っている。

寿司には驚く。正月以外に寿司なんて家庭で見たこともなかった。希に、酔っぱらった父親が夜遅くに帰宅したときに寿司折りを持って帰ることがあったが、それも、食べ残しを大事に持ち帰ったものだった覚えがある。土佐の男は食べずに呑む方が多い。

カレーを思い出すとき、必ず、じゃがいもと人参の姿が蘇る。だから、FATにならないようにと、肉とタマネギだけでカレーを作ってみた。いったいカロリーがどれほど違うのかは分からないが、このほうがいい。汗をかきながら、じゃがいもの入っていないカレーをひとりで食べる。夏の夜。

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東京時計

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昭和40年代の東京時計の置き時計。優しいデザインと、漢字の曜日表示が昭和を思い起こさせる。

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東京時計には変遷があるが、「東京時計製造株式会社」として成立したのは昭和26年。昭和40年代後半には経営不振に陥り、紆余曲折を経て昭和59年に会社は清算された。

窓を開けて扇風機の風に当たりながら、産業革命って何だったのだろうと思う。たとえば、現在市街地で暮らしていて、エアコンもないとお年寄りは熱中症になってしまうだろうから、エアコンは役に立っていると言えるかもしれない。しかし、ヒートアイランドを起こしたのは様々な高層建築物であり、アスファルト道路であり、自動車による熱の排出、そして皮肉なことに、ヒートアイランドに住む老人を助けるエアコンも大量の熱を街に放出しているのである。自分たちが放出した熱をしのぐためにさらにエネルギーを使い続けている。今年も嫌な夏がやってきた。

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昭和の記事を書くのはやはり単なる懐古趣味ではなく、自分自身が本気で昭和の時代の自分に返りたいと願っているからだと思う。最近、あまりテレビを見なくなった。パソコンの前に座って聞いているのはこのCDである。原由子さんの「東京タムレ」。昭和を感じさせるジャケットデザインです。

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私は、このCDに収録されている「愛のさざ波」という曲が、初めて聞いたときからずっと好きだ。ちなみに初めて聞いたのは昭和43年。島倉千代子さんが歌っていた。
作詞はなかにし礼、作曲は浜口庫之介。

この世に神様が 本当にいるなら
あなたに抱かれて 私は死にたい
ああ湖に 小舟がただひとつ
やさしくやさしく くちづけしてね
くり返すくり返す さざ波のように

あなたが私を きらいになったら
静かに静かに いなくなってほしい
ああ湖に 小舟がただひとつ
別れを思うと 涙があふれる
くり返すくり返す さざ波のように

どんなに遠くに 離れていたって
あなたのふるさとは 私ひとりなの
ああ湖に 小舟がただひとつ
いつでもいつでも 思い出してね
くり返すくり返す さざ波のように
さざ波のように


原由子という人は不思議な人だと思う。その姿、その声から、嫌なものを一切感じない。サザンが成功したのは、この人がいたからだと信じている。

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五月のサイダー

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晴れた日の午後に自転車で買い物に出かけ、汗を少しかいたから飲んだスワンのサイダー。ラベルのデザインが昭和のままのようです。

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佐賀県小城市にある友桝飲料は創業明治35年。当初はラムネの製造をしていたようですが、戦後にこのサイダーも発売されました。上質な甘みとキリッとした炭酸がとてもいい味を出していると思います。

昭和30年代、家にサイダーなんてありませんでした。冷蔵庫がなかったので、氷もない。そんな中でも懐かしいのは「渡辺のジュースの素」です。ガラスのコップにジュースの素を入れ、水道の水を注ぎ、お箸でかき回してできあがり。少しでも冷たく飲むこつは、水道水をしばらく出しっぱなしにしてから、コップに入れることでした。

 

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デパートはバレンタイン商戦で忙しい。昭和から続くデザインのペコちゃんも生チョコを販売していました。

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バレンタインデーにチョコを送るという日本の慣習はいつから始まったのでしょう。いろいろ説があるようですが、判然としません。

昭和30年代にはありませんでした。昭和40年代には広まっていました。40年代にはチョコだけでなく、手編みのマフラーとか、手袋までもらった記憶があります。甘酸っぱい昭和の記憶です。

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秋の夕暮れ

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パナマのスカーレット号という船が造船所に入っていた。その名前から「風と共に去りぬ」を思い出す。修理をしているらしい。昭和の頃、祖父は鑿を使って木を細工し、船を造って池に浮かべた。この船に乗せてもらえばどこへ行けるのだろう。やはりパナマなのかな。私は昭和に連れて行って欲しい。すべてが美しく見えたあの頃の・・。

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昭和28年の衆議院議員の給料袋。デザインにあれこれ言うつもりはないのですが、現金で給料を受け取る時代でした。

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昭和28年頃の公務員の初任給は1万円以下だったと思います。衆議院議員の給与は控除前で16万2千円。これは凄い額です。公務員の初任給を8千円とすると、ボーナスを6ヶ月分くらい足しても年収は14万4千円。衆議院議員の月給は一年生公務員の年収を超えています。今はどうなんだろうと調べていると、関西限定で放送されている「たかじんのそこまで言って委員会」で司会を務めている辛妨治郎,さんのコラムを見つけました。なにかが間違ってます。日本。

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<画像>
   

    * 単純X線撮影
    * X線テレビ
    * 腹部超音波検査
    * 心エコー図(断層図)
    * 乳腺・甲状腺・体表超音波検査について
    * 骨塩定量測定


<循環機能>
  

    * 心電図
    * 負荷心電図
    * 24時間ホルター心電図
    * 指尖容積脈派


<呼吸機能>
   

    * スパイログラム
    * パルスオキシメーター(経皮動脈血酸素飽和度測定)
    * 血液ガス分析


<平衡機能>

    * 重心動揺計検査


 

犀角湯とは

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昭和の置き薬ですが、なんと貝殻の中に入っています。犀角湯。岡山縣製薬株式会社。デザイン云々どころではありませんね。レトロを通り越していると思います。

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漢方薬のようです。効能は・・
急性胃腸カタル・胃痙攣・脳貧血・眩暈・卒倒・気絶・吐瀉・腹痛・食傷・癇・悪心嘔吐。昭和20年代の物かもしれません。私は最近眩暈が少しするのですが、とてもこの貝を開けてみる勇気はないのです。

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昭和のデザインの森永ミルクキャラメルのパッケージです。大正時代のデザインも描かれています。

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登録商標のエンゼルマークが懐かしいです。コンビニで見かけて思わず買ってしまいました。実は中身はキャラメル風味のチョコレートです。あの頃,キャラメルといえば,森永ミルクキャラメルか江崎のグリコだったと思います。

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昭和40年代のデザイン。セイコーのロードマーベル。以前にも記事を書いたことがあると思う。

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釣り鐘をぶら下げている紐のことを「竜頭」という。時計の竜頭はここから来ているらしい。ここ数日,毎日1回ロードマーベルの竜頭を巻いて,キーボードの前に置いている。昨年時計屋さんに診てもらったせいか,調子がいい。日差数秒で30時間以上時を刻む。凄い技術だと感心せずにはいられない。

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昭和レトロを感じさせるデザインの「指宿温泉サイダー」のラベルです。

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鹿児島県の地サイダーです。指宿が「東洋のハワイ」と言われた頃のイメージのラベルには池田湖の「イッシー」も描かれています。ソーメン流しで有名な開聞唐船峡の天然湧水を使用して作られているそうです。

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昭和39年に行われた東京オリンピックの切手。少し劇画タッチのデザインです。今なお切手帳に並ぶ45年前の切手。東京オリンピックでは自転車競技が正式種目だったことが分かる。

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このオリンピックのマラソンで3位に入ったのが円谷幸吉さん。1位はアベベ。2位はヒートリー。これは東京オリンピックで日本が陸上競技で獲得した唯一のメダル。しかし,彼はその後持病の腰痛を再発させ,昭和43年に自殺。「疲れ切ってもう走れない」の言葉は私たちに衝撃を与えた。円谷さんのことを歌った歌がある。「一人の道」ピンクピクルス。

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夏草の賦

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昭和43年,東大阪市の司馬遼太郎さん。何というデザインの自転車だろう。不思議です。

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司馬遼太郎さんは大正12年の生まれ。家は薬局。司馬遷からペンネームをとった。司馬遷に遠く及ばない男という意味らしい。

司馬さんの作品はどれも面白い。司馬さん自身も"小説は面白くなければならない"ことをモットーにされていた。土佐に住む人間としては「龍馬がゆく」を推さなければならないのかもしれないが,私は長宗我部元親を描いた「夏草の賦」が好きです。

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夏草の賦

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昭和43年,東大阪市の司馬遼太郎さん。何というデザインの自転車だろう。不思議です。

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司馬遼太郎さんは大正12年の生まれ。家は薬局。司馬遷からペンネームをとった。司馬遷に遠く及ばない男という意味らしい。

司馬さんの作品はどれも面白い。司馬さん自身も"小説は面白くなければならない"ことをモットーにされていた。土佐に住む人間としては「龍馬がゆく」を推さなければならないのかもしれないが,私は長宗我部元親を描いた「夏草の賦」が好きです。

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夏草の賦

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昭和43年,東大阪市の司馬遼太郎さん。何というデザインの自転車だろう。不思議です。

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司馬遼太郎さんは大正12年の生まれ。家は薬局。司馬遷からペンネームをとった。司馬遷に遠く及ばない男という意味らしい。

司馬さんの作品はどれも面白い。司馬さん自身も"小説は面白くなければならない"ことをモットーにされていた。土佐に住む人間としては「龍馬がゆく」を推さなければならないのかもしれないが,私は長宗我部元親を描いた「夏草の賦」が好きです。

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嘔吐の記憶

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昭和の置き薬。レトロなデザインですが,なぜ「たこ薬」というネーミングなのでしょうね。食あたり・水あたり・にがりはら・下りはら・毒けしに効あり。

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幼稚園に通っていた頃,私はしょっちゅう入院していました。自家中毒だったようです。原因のはっきりしない病気です。嘔吐の記憶はかなりあります。鈍色の洗面器に新聞紙を敷いて吐き続けた青い記憶。豆球だけがついた病院の薄暗い天井。路面電車の音。いびつな孤独感は今でも私にまとわりついて離れない。

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嘔吐の記憶

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幼稚園に通っていた頃,私はしょっちゅう入院していました。自家中毒だったようです。原因のはっきりしない病気です。嘔吐の記憶はかなりあります。鈍色の洗面器に新聞紙を敷いて吐き続けた青い記憶。豆球だけがついた病院の薄暗い天井。路面電車の音。いびつな孤独感は今でも私にまとわりついて離れない。

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幼稚園に通っていた頃,私はしょっちゅう入院していました。自家中毒だったようです。原因のはっきりしない病気です。嘔吐の記憶はかなりあります。鈍色の洗面器に新聞紙を敷いて吐き続けた青い記憶。豆球だけがついた病院の薄暗い天井。路面電車の音。いびつな孤独感は今でも私にまとわりついて離れない。

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